旬をいただく、新茶をたのしむ

旬は、はしり、さかり、なごりと3つの期間に分かれます。それぞれ約10日、上旬、中旬、下旬の1ヶ月を3分するのが現代ではわかりやすいかもしれません。初鰹、鮎、松茸など、「旬のはしり」の「初もの」は、縁起の良いものとして重宝されました。

ただ、「はしり」のシーズンは京都ではお客様、有名料亭などで特別な賓客に向けてのおもてなしの食材であって、家庭の食卓に並ぶのははしりを過ぎ、さかりの供給が安定した頃。なごりはさらに季節の終わりを惜しむという役割を担っていました。その「はしり」をいただけけるのは、日常の食事では特別なことでした。特に「初ものをいただくと寿命が75日延びる」という言い伝えも古来あって、その家の長にと親戚が旬の到来を前にタケノコや鮎などを、いち早く贈り物として本家に届けます。またその旬のはしりを近所へ「おすそ分け」するのは、旧家の伝統のようなもの。それは「家」だけではなく「社会」の礼儀として、さまざまなシーンに今も残っています。

新茶は贈答品というより、むしろ各家庭での季節の愉しみとして京都では生活のなかにあります。一年中楽しむお茶は旬という考え方ではなく、今年も無事お茶摘みのシーズンを迎えられたという自然への喜び、感謝の気持ちが新茶に込められているように思います。

茶摘みの時期はその年によって多少の前後はあるものの毎年決まっており、桜が終わり新緑の季節に新茶をいただく時間に、新しい季節の始まりを家族や仲間と交歓します。

お茶の産毛(毛茸)が緑茶の表面に浮かぶ湯呑み茶碗の景色は、子供心に春から夏に向かう季節の変化をその苦みや甘みとともに記憶に携えています。みやこの人々にとって宇治の新茶をいただくのは豊かな時間、梅雨の終わりに消えていく儚さが、特別な“品物”だったのかもしれません。