「匂い」と「香り」―――誉田屋源兵衛十代目・山口源兵衛さんに聞く

「“におい(匂い)”と“かおり”(香り)は本来違うもの。平安時代の人々は使い分けていたんやろな」

KOTOSHINAと香りのプロダクトをコラボレートした京都の老舗帯匠・誉田屋源兵衛十代目、山口源兵衛さんに「匂い袋」についてお話をうかがいました。
「昔は香り、匂いに対しての感じ方、表現の方法が豊かやったんや。日本人の五感が退化したんやろな、今は文化としてほとんど残ってへん。それでも、例えば『梅は香る』『桜は匂う』という表現は残ってますやろ。梅が匂う、とはだれも言わへん。かお(香)る花は梅以外では金木犀、水仙とくちなし。にお(匂)う花は桜以外では藤、桃。香りかつ匂うのは牡丹と紅梅。相対的な表現である“におう(匂い)”に対して、“かおる(香り)”は限定的なんやな」

現代社会でことがらをあらわすのに使用する「におう」という表現は、「臭う」のように日常に使われます。
それは気配もあらわします。平安時代のにほふは万葉集や古今和歌集のなかで美しさを伝える表現としてさまざまな和歌に登場します。

「花の色は雪に交じりて見えずともか(香)をだににほへ人の知るべく」(古今和歌集第6巻)
訳:梅の花の色は降り積もる雪でみえないけれど、咲いている場所を人に知らせるように香りだけでも匂わせてくれ

この和歌は小野篁が梅を愛した菅原道真公を偲んで詠んだ有名な歌として知られ、「香」は梅自体を指し、「匂い」はその場を含め空間全体を伝えています。
「色と匂いはつながっていますんや。(誉田屋の)スタッフにもよく言うんやけど、桃色というのは本来無いんやと。桃の花、桃の味をひっくるめて桃色。桜の匂いはそれが咲き誇っている姿、空間を含めての匂い、仮に桜の木が無くともある匂い。香りは本当にそこに香っている。匂い袋と呼ぶ理由にはこれを使えば部屋に匂いが満たされる役割やね。香りに満たされるのではない。もちろん香るんやけど。さらに部屋全体の空気を清められる、役割があったというわけや」
今回、KOTOSHINAの香りのプロダクトとして開発した折形の衣被香(えびこう)とお手玉セットには誉田屋源兵衛の西陣の絹織物が使用されています。七宝の無地小紋に八雲を織り込んだ着物生地。八雲は古事記に収められたスサノオノミコトが詠んだ日本最古の和歌(「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」)が起源と伝えられる吉祥文。渦を巻きながら立ち上る雲気がますます発展する、更に繁栄するという文様。日本古来の伝統意匠です。
「京都BALの一階に旗艦店を構えるKOTOSHINAが“匂い袋”や“香るお手玉”といった時代から失われつつある文化に取り組んだことが大切。現代社会の“売らんかな”の発想では出来ひんことや。誉田屋の家訓にも“計りて作らず 本物は残りて候”という言葉がある。この家訓には“儲けを考えていては良い物は作れない”“本当に良い物は時代が変わろうとも価値が高く、継承される”という考えが込められている。その家訓通り、素材にこだわり、昔からの伝統的な技法を大切にしているものづくりが多くの人を惹きつける。私が作る帯も西陣の常識から外れたものばかり。それが売れる。
最近では闘牛と蛸の柄が大ヒットしたというけど、人気の理由はわからへん。ただ本気で作るから売れる商品を作るより時間がかかる。パリのオートクチュールと同じ。平安時代から伝わる美しい日本の文化が京都には残っている、ということを商売ではなく本気でKOTOSHINAが消費者に伝えようとしている精神が重要なんや」

祇園祭との縁がにほふ

京都では八雲をはじめ古来受け継がれている文様が、祇園祭で公開される山鉾の豪華な飾りや衣装、曳き手や囃子方の浴衣など、さまざまなところで目にする機会があります。京都の長い歴史はお祭りや行事など縁でつながっており、BALと源兵衛さんの関係も祇園祭と無縁ではないとか。

「現社長とは幼馴染でやんちゃな子供の頃から一緒に遊んだ仲や。夏は祇園祭の山が遊び場。当時は町内にTVがある家が1軒しかなくて、そのお医者さんの家に子供たちは夜7時になったら集まったもんや。そのころから約65年経って、一緒になんかをつくるというのも不思議な縁やな(笑)」


調べてみると古語辞典では「にほふ」には「恩を受ける」「影響を受けて栄える」という意味もあるそうです。

「ほとりまでもにほふためしこそあれ」源氏物語:54帖の真木柱
(訳:その縁のある人々までおかげをこうむる例もあるのだ)

縁も「匂う」のですね。源兵衛さん、BALとKOTOSHINAを今後とも宜しくお願いします。



誉田屋源兵衛×松栄堂×KOTOSHINA コラボレーション 香りのプロダクト
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